今朝は庭で大量のおじぎ草の苗を見つける。どうしたんだろ?こんなにいっぱい・・・
やっぱりつついてみる。意外にたのしい☆

そして歩いているとセミがひっくり返っている。つまむとよわよわしく、木に止まらせようとしてもちょっとすると落ちてしまう。そのままにしておくのもなんだか気になってしばらく手の上にのせてボーッとながめていた。

セミは地上に出てきて7日間しか、生きないという。きっともうすぐ命つきようとしているセミをみながらどんな7日間だったんだろうと想像してみた。
セミになったことがないから飛んでいる自分、木にとまっている自分、鳥にたべられそうになった自分・・・お粗末ながらそんなくらいしかあたまに思い浮かばない。
ミュージカルでは作品書くくらいなんだからもっとミツバチハッチの大冒険くらいのストーリー出てこないのかと言われそうだか普段の自分なんて所詮そんなものである。

手の上のセミはすごくゆっくりとだが逃げようと歩き出す。こんなところで体力をつかわせて寿命を短くしちゃいけないなとそっと植木鉢の上にのせた。ひっくり返ったまま死ぬよりもせめて好きな木をみながら、前をみながら命を終えさせてあげたいなとおもったからだ。
そして見ているうちに頭をよぎったのは「胡蝶の夢」
知ってますか?知らない人のためにたどたどしくだけど説明させてもらう

ある時、ウトウトと夢をみる。それは自分が蝶であった。パタパタ〜パタパタ〜花から花へ〜楽しく飛んでいる。その自分は人間であることなんか全く思い出すこともなく、私は蝶♬そんな風に信じ飛び回っている。ハッと夢から覚め、自分をみると人間であった・・・その時思ったのが、今の人間である自分が蝶になった夢を見たのか、それとも実は自分自身は蝶であって、人間であること今この時間こそが夢であるのか。夢と現(うつつ)というがどちらが夢であり、どちらが本当なのか。
今私たちは人間として生きているがこの長く感じる人生も気づいていないだけであっという間の一夜の夢かもしれない。荘子(そうじ)という人の代表的な話である。

私たちは人と出会い、別れ、繰り返しの中で生きている。それは楽しく、切なく、はかなく、淡い物語かもしれない。死というのは早かれ遅かれ必ず誰にもやってくる。だからこそ、それをこわいこととしてとらえるのではなく生まれた時からの一つの流れと取るべきなのかもしれない。
7日間生きるセミを見て、短くてかわいそうでなく、精一杯生きていけない自分たち、こんな時代こそがセミからしたらかわいそうとおもうかもしれない。少なくとも自分にもその時がきたら、楽しかったな〜クスっと笑える生き方をしたいな。
そんなことを考えさせられる、ある夏の出来事でした〜ちょっとむつかしい今回のブログ。
まだ夏は続く・・・さてさてビール飲もう〜っと☆