2月に入りました〜年が明けてもう一ヶ月経ちます☆
春を目の前に慌ただしい時期になりますね☆新メンバーも入ってきて今日も説明会に2人来ます(^_^)入会するかは別としてせっかく来てくれるのだからとにかく楽しん欲しいなっておもっています
長く参加している子供にとっても見知らぬ同じ年代の子供との練習は、とってもいい刺激になるんです
いい緊張感の中での練習はとっても大切なこと
目に見えない競争とアピールが常にある子とない子^ – ^
どっちでもいいんですが伸びようと思うなら自分一人の力でより、この子に負けたくない!この方がわかりやすくて伸びやすい
ギスギスした雰囲気の中ではいけないけれど一生懸命の中でならドンドンやって欲しい
ライバル・・・・好敵手っていいますがうまいこと書きますね
嫌敵手でなく好敵手なんですもの☆
好きな相手だから「こうなりたい」「負けたくない」
相手を蹴落とすことなく、相手を認め、自分を受け入れ、切磋琢磨しあう・・・なんて素敵な関係でしょう
「個性」・・・よく勘違いしている人がいます。
人の価値観や生き方なんて結局色んな人との出会い、経験、そこから感じた事から生まれるのであって自分一人でつくるものではない。子どもの場合はまだそんなに出会いがないから、それが親からの影響の場合が非常に多い。
生まれた時からその人は、その子はその人でしかない、その子でしかないんです。だからあえて個性的に育てる必要はないとおもうのですが。そんな場合の個性って大体が親の価値観なのでは?本来ならその子にあうもの、その子が興味持つものが見つかるまでそっとしておけば子どもはきちんと見つけてきます。
そしてそれを否定してはいけないのです。否定するなら本人が理解できるような目線になって語るべきなのです。親ができることは応援すること、優しく見守ること。
人と比べたくない、比べられたくない、自分の子はこんなすごい特技ある。私は私だと片意地はって、あえて個性という言葉でごまかしてる傾向が最近よく見受けられるように感じます
気持ちはわかりますけどね(^_^)
「個性」っていい意味で使うものです。
この子は人の痛みがよくわかる優しい子、好きなことに対しては真面目、時間やお金のやりくりが上手とか。
これが人の痛みがわかるから人付き合いが苦手だけど本当は優しい子、クソ真面目、ケチとかになるとこれは個性というより「わがまま」の類いになる。
その人といるとなんか心地よい〜これが個性
その人といると窮屈、気分悪くなる〜これは個性ではない
だれでも素敵な個性をもっている、しかもそれは刻々と変化していく
「わがまま」なんていらない〜笑
沢山の個性が生まれる今年のレインボーにしようとワクワクしています☆
私たち指導する側として個性を大事にしてくれてありがたいと言葉をもらうことがあります。ありがたくもあるし、嬉しい気持ちになります。
でも教育に携わるものすべて、つまりは親も然り
教・・・教える?教わる?
育・・・育てる?育む?
どうあるべきかはちょっと考えてみればわかるからあえていいません
考える時間も大事☆